玄庵 ながせ いつかは打ちたいこんな蕎麦

さて。

実は蕎麦包丁なるモノを買いました。
最初は冷やかしでした。
日本橋の木屋で刃渡り33センチの手頃なものがあったのだけど、どうも握ったバランスがよくない。

きびすを返して浅草から合羽橋へ。
鍔屋という包丁屋を覗いたら、もぉいけません。

蕎麦は最低8尺に切ることになっているので、刃渡りはそれ以上必要になる。
鍔屋のラインナップは28cm/30cm/33cm。
価格は1万円程度のステンレス製から25万円前後のものまで。

蕎麦を刻むのに切れ味はあんまり関係なく、大切なのは重さと取っての位置で一意に決まる重量バランス。木屋で触ったものはあんまりこのバランスがよくなくて、鍔屋に案配のよいものを見つけてしまった。ぅぅぅっとなりつつも買うしかありません。

そもそものキッカケはうちの親父。
趣味で畑をやっていてついに蕎麦を始めました。
大体毎年30kgから50kg程度の収穫があり、こんな程度の量でも家族で食べるとなると結構大変。
せっせと蕎麦打ちに精を出すようになりました。

うちの蕎麦の基本は二八。
といっても蕎麦粉とつなぎの関係は難しく、単純に二八とはいえ重量比と容積比で大分変わってきます。

蕎麦粉の方が小麦粉よりも比重が大きく、容積比で二八にするには重量比で1.5:8.5。
ただ、これはあくまで目安で、つなぎである小麦粉の割合はその時の粉のコンディションに大きく依存します。

蕎麦粉を麺にするためには、たとえ十割蕎麦であってもつなぎは必要で、その観点から小麦粉はつなぎの中でも最も癖が無く理想的な材料。
ただし、これはあくまでもりの場合。

かけにするんだったら卵水を補助的に使わないと汁の中で蕎麦が溶けちゃう。
ちなみに藪系では必ず卵水を使います。
割粉(小麦粉)の使用は藪と言っても系列で違うみたい。

十割蕎麦を打つとします。いわゆる生粉(きこ)打ちっていうやつ。これが難しい。
まず粉のコンディションが万全でないと絶対上手くいかない。

藪のように色の黒い蕎麦の場合、生粉でも卵水をつなぎにして麺に出来るけど、更科系のような白い蕎麦の場合は卵を使うと色が付いてしまうのでテクニックを要します。これが湯ごねというやつ。

蕎麦は水でこねるのが普通だけど、かわりに沸騰したお湯を使う。
するってぇーと蕎麦の一部がノリ状になって(そばがきね、これ)つなぎの働きをする。

で、自分はこれを良しとしない。

なぜなら湯ごねをした蕎麦は蕎麦の一部が初めから煮えちゃってふかふかしてる、食べたときに変な違和感があります。

だから生粉打ちの蕎麦は蕎麦を味わうより、打った蕎麦職人の心意気を味わうものだと割り切っています。

蕎麦粉を蕎麦玉にする工程を木鉢と言います。
ところがこの木鉢、本物はえらく高い。
栃の木をくりぬいて漆で仕上げたものが一寸あたり2万円。
単純に直径60センチのものだと40万円。
とてもじゃないけど手が出せない。

蕎麦屋が火事になると蕎麦猪口などは水を張った桶に沈め、木鉢だけを持って逃げたっていう噺があるけどさもありなん。
うちではステンレスのボウルを使っています。

木鉢は粉に水を混ぜる水廻しとそれを玉にするくくりという作業から成ります。
力が必要なのはくくりで、捏ねるのではなく蕎麦粉に水を押し込んでいく感じ。

反対にほとんど力のいらない水廻しは一見楽なようだけど、これが肝心要の大切な作業で一番難しい。粉のすべてに水を均等につける技が必要とされ、一人前3年と言われています。

現在日本で手に入る最も高級な蕎麦粉はタスマニア産のもの。
並木の藪の先代、堀田さんが指導して白鳥製粉が最初に製品化しました。
それ以外でも7割が輸入に頼り、量の順にカナダ、ロシア、中国だったかな。
街場の普通の蕎麦屋は大抵がこれら輸入のもの。

麺が出来たら今度はツユの心配。

醤油と砂糖を合わせて返しを作る。
混ぜて煮返して沸騰寸前に火を引くので返しと言います。
それを10日から20日程度エージング。

醤油と砂糖を合わせてから火にかけるのを本返し。
砂糖水だけ火にかけて生醤油と合わせるのを生返しと言います。
自分がツユの手本にしている並木の藪は生返しを使っているので、蕎麦ツユに柔らかい醤油の香りが残っている。

そしてもう一つの原料は出汁。
本枯れと言う最高級の鰹節を1ミリくらいの厚さに削りだし、これを30分から1時間程度煮込んでこってりした出汁を取る。

料理の本を見ると出汁を取るときは香りが飛んでしまうので沸騰させるな、などと書いてあり、向こう側が透けて見えるような花鰹を数分で引くけれど、東京の料理でこれはNG。ぐつぐつ煮込んで香りと共に数割の汁も飛ばしてしまうくらいでないとイケナイ。

徳川の時代から江戸には日本各地から人が集まり、それらの人々は大抵汗をかく仕事に就いたらしい。汗をかけば塩っ辛い(味の濃い)ものを好む、というわけで西の人が言う「東京の味(色)が濃い」はどうやらこの辺がルーツらしい。

そして出来た出汁を返しと合わせます。
すぐに使うことも出来るけど、一日以上置いた方が馴染んでいい味になる。
けれど出汁が悪くなってしまうので数日以上は持ちません。

プロはこの合わせたものを土タンポという陶製の容器に入れて湯煎する。
出汁と返しを馴染ませ、砂糖/醤油/鰹の固有の味と香りを消すためです。

蕎麦ツユの極意は、
醤油があって醤油の味がしてはいけない、
砂糖があって砂糖の味がしてはいけない、
鰹節があって鰹節の味がしてはいけない、
っていう状態。

並木の藪というのは神田の藪、池之端の藪と並んで藪御三家と言われている蕎麦食いには有名どころ。ここのツユはあくまで辛く、蕎麦にほとんどツユをつけずにすみ、蕎麦をおかわりしてもツユ薄まらず、下手な薄味のツユよりよっぽど塩分摂取量も控えられる完成したツユです。

ここの先代の主人、堀田さんは
「わたしの店のツユの製法は公開します、たくさんの人が作ってくれて、それで江戸の味が守れるなら、こんなに嬉しいことはない」
と言って本や漫画に取材させ作り方を書かせていました。

と、そんなことを一日やっているとちょっと一杯やりたくなる。

自分が子供の頃から持っている大人のイメージに「夕方から蕎麦屋で一杯」というのがあります。
で、まだまだこれが似合うほどに人として成長していないのですが、たまにやってみる。

そこで本八幡界隈の蕎麦屋を片っ端から食べ歩いて見つけたのが玄庵ながせ。
菅野交番のちょっと手前、鬼瓦との異名を持つおじさんがいる花屋のちょっと先。

だし巻き玉子から初めて、いたわさ、塩辛と進んでシメはせいろを二枚。幸せな夜が幕を開けます。