初秋の清里から軽井沢。
写真家、ロバート・フランクの写真展を観に清里にあるフォトアートミュージアムへ行ってきました。
写真展は入場して一度出ても、再入場ができるので緑の中でくつろいで、また観に行って大好きなロバート・フランクの写真を思いっきり浴びてきました。
十分に堪能したあとは、少し足を伸ばして軽井沢へ。
作家、有島武郎の記念碑。軽井沢へ行くと必ず訪れます。
永い永い思い出のみ残る。
今朝は有難う。 兄の熱烈なる諌止にもかかわらず私達は行く。
僕はこの挙を少しも悔いずただ十全の満足の中にある。秋子も亦同然だ。
私達を悲しまないで呉れ給え。 母、子供達の余所ながらお見守りを願う。
僕の著作の印税全部は将来三児にやってくれ給え。
原、吹田、秋田、藤森其他諸兄にも手紙を書くべきだけれども此の際だから略す。兄より宜敷。
山荘の夜は一時を過ぎた。雨がひどく降っている。
私達は長い道を歩いたので濡れそばちながら最後のいとなみをしている。
森厳だとか悲壮だとか言えば言える光景だが、実際私達は戯れつつある二人の小児に等しい。
愛の前に死がかくまで無力なものだとは此の瞬間まで思わなかった。
おそらく私達の死骸は腐乱して発見されるだろう。
有島武郎が、大正12年6月、婦人公論の記者 波多野秋子と軽井沢で心中したときに友達に宛てた遺書の文面です。※一部改行、仮名遣いは勝手に変えています。
有島の他に軽井沢にちなんだ作家といえば堀辰雄。
小説では昭和七年に「麦藁帽子」、翌八年には「美しい村」を上梓。ともに軽井沢が舞台となっています。
そして昭和九年、堀辰雄は矢野綾子と婚約。
しかし、翌年の昭和十年に綾子は胸を患い療養所で息を引き取る。その綾子とのあまりにも短い、けれど限りなく幸せなおもいでを紡んだのが「風立ちぬ」でした。
「はじまればそれは必ず終わる」と、教えてくれたのは中学の時のピアノの先生でした。
演奏を前にボキボキに緊張していた自分を励まそうとしてかけてくれた言葉だったらしいけど、その時はなんとなく違う意味に受け止めていました。
軽井沢の街の中をウロウロ。野菜がどれもこれも美味しそうで、たくさん買い込んできました。
この日はそのまま万平ホテルへ。早めの晩飯を食べ、ゆっくり寝ました。