南山 ちゃんとつくり手の味がする台湾料理
場所はJR本八幡の高架沿い。シャポーに入って千葉寄り、本屋の先、丸亀製麺前あたりの出口から出ると目の前の路地に入り右側、ラーメン屋のすぐとなりの二階。
小さな看板が道においてある。よく見てないと見過ごしてしまうこともある。
お店の佇まいはこんな感じ。
「こんにちは」と言って扉を入り、自分が座るのはいつもカウンター。
混んでいるときは座敷にどうぞ、という感じの時もある。まずは飲み物でしばらく悩む。
夏はハイボールを飲むことが多かった。レギュラーと濃い目がある。ユニークな製法の氷をがしがしっとアイスピックで割り、大きめのグラスにウイスキーを注ぎ、炭酸水で割る。仕上げにレモンジュースを一垂らし。炭酸水は小瓶のもので注ぎ切れなかった分は瓶ごとくれる。
そして最近ハマっているのが紹興酒。
この店には二種類あり、酔貴妃の雫と古越龍山(善醸仕込)。なにも言わずに紹興酒とお願いすると酔貴妃の雫が出てくる。南山ではこの紹興酒を常温(厨房内の離れたところに置いてある)、やや冷え(障子を締め切った座敷に置いてある)、冷え(冷蔵庫)の三種類のどれにするか尋ねられる。
飲み比べると自分でもはっきりわかるほど古越龍山のほうがまろやかで旨い。だから最近はこれの常温を呑むことが多い。古越龍山、中国では国賓接待酒に指定されている。
ちなみにこの古越龍山を炭酸水で割ってハイボールにしたものをドラゴンハイボールというらしい。横浜の中華街で流行っている。
この紹興酒があまりに美味しいので、あちこちで紹興酒を見かけるといろいろと買ってみるのだけどどれもいまいち、というか、極上の味を知ってしまったので、それ以外はなんか渋くて美味しくない。ということをお店の方に告げたら、「蓋を開けたら少し空気にさらしておくと美味しくなりますよ」と教えていただきやってみたのだけど、うーん。要はデキャントしてねってことだと思うのだけど。
だから紹興酒はもっぱら南山でしか飲まない。
次はなにを食べるのか、メニューを組み立てる時。菜単(中国語で献立表)と書かれたメニューをめくり、紹興酒を愉しみつつ、あれやこれやと組み立ててみる、が、ここ最近の定番はこれら。
まずはムシドリ、これは四切れから好きなだけ人数と胃袋の調子に応じて増やせる。汁ものは酸辣湯、これ一択。そしてメインは排骨飯。
さっとサーブされるムシドリをつまみに紹興酒を愛でつつ料理を待つのだ。
ムシドリはラー油をちょっと垂らすとますます美味しくなり、酸辣湯はお酢をかなり入れて飲むのが好き。そして排骨飯についてくるお新香が白眉。たぶん自家製だと思う。
このお店、何かといろいろ自家製というか、買ったままでなくアレンジしていると思う。思うと書いたのは尋ねても「まぁ、えへへ」という感じであんまり詳しくは語らないのだ。水餃子をお願いすると黒酢が一緒に提供されるのだけど、この黒酢がまた美味しくて、なんか市販のものと違うなー、と思って訊いて見たことがあるんだけど、例の「まぁ、えぇ」とのことだった。想像だけどバルサミコを足しているような感じもする。
とにかく南山、調理中とかにいろいろと注意深く見ていると、なにかと合理的にやられている。もちろん商いなんだから当然なんだけど、いま、自分がしていることについて、すごく勉強してきたんだろうなと強く感じる。
そして、かなり無口な方で、最初は戸惑ったけど(自分も人見知りだから、こういう気持ちはよく分かる)慣れると面白い。それに二人で行くとシェアできるように便宜を図っていただいたり、あるいは最初っから料理をシェアしてサーブしてくれる。
ランチをやっている時もあって、これがまた、やってないときもあるので行ってみてやってないと落胆なんだけど、昼間行った時、でかい豚バラをばらしているのを見たことがある。まさに骨付き肉、という肉感で、それをこれまた切れ味の良さそうな中華包丁でさくさくさくっと料理に合わせて(たぶん)捌いていくさまは壮観でした。
メニューが豊富なので、自分もまだ経験がない料理もあるんだけど、今までどれを食べてもそれをつくった料理人の味がするのだ。いわゆるシェフの味ってやつ。これまで台湾料理といえば新橋の桜田公園の脇にある香味というところが一番だったので、台湾料理を食べたいと思ったときは新橋まで行くしかなかったのだ。まあ、その当時は会社も近かったので楽ちんに行けたのだが。しかし、本八幡には南山があるのだ。自転車でサクッと行けるところに美味しい台湾料理。
と、ここまで書いていたら二つ星の料理人という映画を思い出した。二つ星とはミシュランガイドの星の数のことで、このシェフが星2つから星3つを狙ってレストランを新規開業していくさまを描いている。うーん、裏側を知るのは愉しいけど、その一方、こんな大変なんだって知っちゃうのは食べる方としてはビミョーな気持ち。シェフ一人では料理できないからソーシエやロティシュールなど人材の採用、ソースの研究、素材の仕入れ、下ごしらえ、調理温度にサービスまで。そして例によってこじれる人間関係。
しかし、人間関係ってなんであんなにこじれるんでしょう。コミュニケーションが一つの要因になっているのかもしれないかなって感じるときもあるけど、ソリが合わないやつっていうのはいるもので、いままでの経験実感から身の処し方としてこう考えることにした。
ヘンなやつのヘンの方向性について、自分とソリが合わないとどうしようもないと思う。人生で出会える人、という母集団はもとより有限で、それどころかごく限られていて、出会いそのものは大切だけど、ソリの合わない人に無理に関わり合って時間を潰すくらいなら、もっとうまくいきそうな相手と関わったほうがいいのではと。出会いは一期一会で、その時うまく話が弾むかどうかでしょう。たとえこちらの思い違いで有為の人物を失ったのだとしても、それはご縁がなかったということ、と考えると楽ちん。
フロイトがシャドーという事を言っているけど、人は自分の嫌いな部分をシャドーという無意識領域に切り分けて置いておく、そしてそのシャドーに置いてある自分の嫌いな部分を他人に見つけるとその人のことが嫌いになるらしい。そりゃそーかもね、自分が否定したものを他人に見つけたら、自分がそうであっても他人は許せないかも、カワイイのは我が身だから。