#8 風立ちぬ。いざわき目やも。

親切?
「きれい」より「美しい」が親切って、どうやったら言えるんだろう?
亀の甲より、何とやらですかね。
    
「佳代子先輩も、申請してたじゃないですか、夏休み。」
「それは人の子だもん。私だって休みたいです。」
「どっか行くんですか?・・・マレーシアとか?」

マレーシア?と佳代子先輩は笑って、ビールのおかわりに自家製のジンジャ―エールでつくるモスコミュールを注文した。
      
懐かしいなー、奈津美の電話。
受話器のちっさい穴から暖気が漏れて来そうで、うっとりしたっけ。
佳代子先輩は、マレーシアって感じじゃないか。北欧か。テキスタイルと、オーロラか。
でも待てよ、佳代子先輩のマレーシアも、悪くない・・・。
     
「また変な事考えてない?」
「え?」
「いま。ろくな事考えてなかったでしょ?」
「エスパーですね。転職したらどうですか?」
「転職したらろくにプレゼンも出来ない後輩どうなるのよ。」
    
うへへ。叱られちった。でも、見ちゃうもんね。
ろくでもない考えは、反省よりも、強いのだ。
プレゼン<マレーシア。この不等式の真実を、今こそ証明してやる。
    
奈津美よりも白い肌。
全体に凹凸も少なくて、理智的な身体。
先進国に生まれて、洗練されたハイブランドを着るために生まれてきたような、都会的なボディライン。

でも待てよ。だからこそいいかもしれない。

マレーシア。ペイズリーのビキニ。
沈む夕日と、食べ物の匂いのするぬるい風。
二の腕にある一個の毛穴も、意外に見えそうな人だよなあ。
      
表の看板にあったグラスのランブルスコが気になって、注文してみる。
グラスの縁に、濃い色の泡がチョコレートのようにまつわって、剥がれない。
喉が渇きそうで渇かない味。
      
「もっとつまらない所に行きます、今年は。」
「国内ですか?」
「うん。京都に。」
「京都?え、京都ですか。」
「そう。天使突抜ってとこの町屋を借りて、一週間くらい。」
「テンシツキヌケ?・・・京都、いいですよね。」
「あら。詳しいの?」
「・・・清水寺とか・・・」
「舞妓さんとか・・・でしょ?」

京都――。

行ったなー、二年前だっけ、あれ。

先輩と同期と。それこそ夏だったわ。真夏。昼飯だけ食いに行ったんだっけ。
「納涼床」とかいう、和風テラスで、何故か中華だったという。あの京都か。
     
「観光ですか?」
「観光?うーん。観光かなあ。祇園によく行くお店があって、そろそろ顔出さなきゃなって。」
「えっ。佳代子先輩京都によく行く店があるんですか?」
「もちろん。鎌倉にも松江にも博多にも。」
「うえっ・・・さすが。全部に彼氏がいたり?」
「どうでしょう。京都にはいないかなあ。あなたは?」
「神田と、笹塚によく行く洋食屋さんがあります。」
「ごまかして。ちょうど祇園祭に当たるから、あなたもどう?京都。」
     
いや僕は海が・・・。
喉元で止まって、かわりに打ち水の石畳を、古都の風が吹き抜けた。

「佳代子先輩、浴衣なんか着ちゃったり?」
「着ちゃったり。」
   
どうしよう。完全に後ろ襟からうなじが見える。見えてる。風鈴の音がする・・・。
    
「また、ろくな事考えてない。」
「止して下さい。いま平安の昔に思いを馳せてたんです。」
「そう。何でもいいけど、もっと遊びなさい。」
「クラブとか?ゲイバーとか?」
    
佳代子先輩は笑いもせずに店員を呼んで、計算してください、と呆れたように言う。
    
「街の名前ぐらい、女の子の名前と同じように、呼べるようじゃないと。」
「女の子と同じように?」
「気軽に。愛を込めて。」
    
カウンターで外国人が、白熱球とおんなじ色のフリットをつまんでる。
店を出ると思ったより風が涼しくて、雨も宵の匂いがした。