#7 闇夜に霜の降る如く、音もなく彼女にすべてを浸食されていく。

やっぱ、高中の Blue Lagoon は名曲だよね〜。この転調、流石です。
それにしても長かったね、ここまでの道のり。
焼き鳥に行って、そして次は海ですよ、海。
もおさ、頭の中、奈津美一色。
寝ても覚めてもとはこの事だね。

海と言えばなんですか、やっぱりサンオイルですか?
塗りあいっことかしちゃうの、やっぱり。
「あ〜ん、くすぐったぁ〜い、だめぇ」とかそんな感じですか、ぐふふ。

水着買うって言ってたけど、ビキニですかね、こうなると。
いや、もちっとスポーティな感じかなぁ?
意表を突いてワンピースなんて着られたら死んじゃうよ、俺、多分。

あっ、奈津美、色白だからサンオイルじゃなくて日焼け止めか、金のアネッサか!
えっと資生堂担当は7営だっけか?
とりあえずもらっとくか、金のアネッサ。

待て待て待て待て、ちょっと待て、んなもん自分で持ってくるだろうから、
やっぱり思いでづくりに欠かせないカメラですかね、防水のやつ。
富士フイルムであったよね工事現場で活躍しているタフなやつ、あれ手に入れよう。

あとなに、海って?、ゴザか、ゴザって君は笠智衆かね、もちっとなんか無いのかね、
デッキチェアか、あとビーチパラソル、まぁ、海の家にあるよね、そゆのは。

「ちょっと携帯鳴ってるわよ、け・い・た・い!」

モヒートかなんか飲んでると沈み行く夕陽が奈津美の横顔を赤く染めて・・・・・・

「でんわっ! お得意じゃないの?」
「あっ、すんません、先輩。」
「ヘラヘラしてしまりのない。」
「すんません、ちょっと考え事してました。」
「どーせろくな事じゃないんでしょ。」
「わかります?」
「わかります!顔に書いてあるから。」

佳代子先輩は自分よりいっこ上で同じ部の紅一点。
そしてアカウント・エグゼクティブ、平たく言うとAE、営業ってやつですね。

「お正月の企画、考えたの? ゴゴイチからマーケとクリエーティブ入って打ち合わせよ。」
「もちろんです、ばっちりですよ、わははぁ。」
「じゃ、楽しみにしてる。ブレストだからってなめてかかると、痛い目にあうわよ。制作は2クリで受けるらしいから。」
「げっ。」

第2クリエーティブ局、略して2クリ。
いまをときめくクリエーターがゴロゴロいて向かうところ敵無し、
コンペでは負け知らずという泣く子がさらに泣くような鬼神の集団。
でもみんな出社は夕方からみたいな、そんな人たち。

「じゃあCDは黒砂さん?」
「そお。」
「顔洗って、歯磨いて、飯食ってきます。」

会社、引っ越したのはいいんだけどさ、昼時は混むよね、こんなオフィスビルばっかり集めて建てちゃうから。
だからといってコンビニで買うのもなんだかね〜、とはいえランチタイムはどこも一緒。
こじゃれた店には女子が溜まってるし、今日は蕎麦でも食いますかってんだ。
 
「はぃ、らっしゃい、奥、空いてるよ。」
「もり二枚。」
「はいよぉ〜。」

並木の藪の流れを継ぐここの蕎麦はいわゆる二八ってやつ、蕎麦粉が八に小麦粉が二ね。
つゆはあくまで濃く、砂糖水だけ火にかけて生醤油と合わせた生返し。
それを土タンポに入れて湯煎の後、しばらく寝かしたものにぐつぐつ煮込んだ
たっぷりの鰹節の出汁と合わせるってぇと、あら不思議、
醤油があって醤油の味はせず、砂糖があって砂糖の味はなく、鰹節があって鰹節の味がない、
という状態になる。

そんな濃いつゆだから蕎麦のさきっちょをちょっとつけただけで食えちゃうと言うわけ。
だからうっすいつゆでそれをやっても意味はない。
本質を知らずに形だけまねると恥ずかしいよ、おっちゃん。

というわけで蕎麦はずるずると音を立てて食べるのが礼儀。

ちなみに女子がよくやる、片方の手で髪を押さえて、
もう一方の手で箸を持って蕎麦を食べることを
山手線内側っ子の間ではエックス攻撃といいます。

「交差するように心がけるととても女性らしい仕草になります」って、
マナー講座じゃないんだからさ、江戸っ子だったら蕎麦は粋に食いたいよね。

◯◯◯

午後からの打ち合わせは散々だったよ、しょぼん。まあ、いいか。
というわけで退社後、佳代子先輩に呼び出されました。

「だからいったじゃない。。。」
「次は頑張ります。」
「まったく。」
「ビール冷めちゃいますよ。」
「そういえば、突然申請したけど、夏休み。」
「はい。」
「どこか行くの?」
「えへへ、ちょっと。」
「なあに、怪しいわね。」

それにしても佳代子先輩、いいオンナだよね。
いっつもスーツ、ビシッと決まってるし。
靴なんてそれ、ブティックオーサキですか? 

派手でもなく地味でもなく、ブランドを身に付けているのにそれを感じさせないなんて、
まるで藪のつゆみたいなバランス感覚、さっすがです。

「先輩。」
「なあに。」
「先輩、カレシとかいるんですよね。」
「いまはいません。」
「いまはってことは、かつてはいたんだ。」
「そりゃ、いるわよ、オトコの一人や二人。」
「どんなひとだったんですか? 前のひと。」
「あなたの知らないひとよ。」
「だから訊いてるんですけど。」
「あなたは? いま、誰かいるの?」
「いますよ、まだ、彼女とは言えないけど。」
「彼女きれい?」
「いえ。」
「なにそれ。」
「彼女は美しい。」
「まあ、ずいぶん親切な言い方ね。」